境内のご案内
御社殿
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大鳥居をくぐると「御社殿」がございます。

神楽殿
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島根神代神楽は「神楽殿」にて奉納されます。

写真:「広報あだち」より

将軍石
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 江戸幕府八代将軍、徳川吉宗公が御成りになり、座られたという「将軍石」。

富士塚
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 本殿左奥に「富士塚」がございます。往時、島根の若者たちは「十三夜行」として島根富士講から出発し、村ではその帰着に合わせて牛車に万燈を仕立て、島根ばやしのお囃子入りで村中の人が出迎えたということです。

吉田順庵先生の島根学問所跡

 本殿東には区内最古の学問所である、吉田順庵先生の島根学問所跡があり、足立区域で確認された初めての寺子屋として有名です。そこで江戸期寺子屋の普及から、現代の小学校へと繋がりゆく、その道のりを見てみましょう。

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島根村の村医・吉田順庵先生

 足立区域で寺子屋が初めて確認されたのは、享保年間のこと。19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録『徳川実紀』には、島根村(現・足立区島根)の村医である、吉田順庵先生が自宅に子どもたちを集め、手習いを教えていたことが記されています。
 また、享保6年(1716)10月28日、鷹狩りの途中、八代将軍・徳川吉宗公が学問所に立ち寄った際に、その行為に感銘を受け、翌日褒美として白銀10枚を与えられたと伝えています。

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手習いの教科書は、身近な文書から道徳まで

 島根学問所で手習いの教科書となっていた文書のひとつに、「御鷹場法度証文」があります。当時、足立区内の随所に、徳川将軍家の御鷹場があったという由縁から、身近な公文書を使用したのでしょう。『徳川実紀』にも、徳川吉宗公のお言葉として、「公法を童にしらしむる事、奇特なる事なり」と伝えられ、また、室鳩巣が幕府の命により著した『六諭衍義大意』も教科書として下賜されています。六諭とは、1397年に洪武帝が発布した「父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれ」の六言をさし、『六諭衍義大意』はその解説書です。

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島根学問所から足立区立小学校への道のり

 吉田順庵先生による寺子屋以降、足立区域内では18世紀の江戸時代中期に、千住宿内に寺子屋が開かれたことが確認されています。そして江戸時代後期(19世紀前半)に入ると、足立区域内各村で、寺院や堂、庵や個人宅などに寺子屋が開かれ、幕末維新期にかけて、寺子屋(家塾)の数はどんどん増加していきました。

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 この島根学問所は、のちに明治の世となったとき、竹塚村と島根村で作った私立竹島小学校、そして公立梅島小となり、そこから、現在の足立区立梅島第一小、梅島第二小、島根小、中島根小、栗原小、栗原北小、平野小などが設立されております。島根学問所に始まる子どもたちの教育の場は、今も、この地に脈々と受け継がれているのです。

境内にある保存樹・樹林

 鷲神社がある足立区では、樹林や大樹を郷土の宝として守り、次の世代に引継ぐ活動を行っています。季節ごとにさまざまな顔を見せてくれる境内の樹林・大樹をご紹介いたします。

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保存樹林(樹林面積1,862m²)

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保存樹(くろまつ他全12本/樹高10m/幹周178cm)

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保存樹(くろまつ他9本/樹高8m/幹周216cm)

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保存樹(いちょう他1本/樹高14m/幹周262cm)

詳しくは「足立区の保存樹・樹林を守る会」をご参照ください。

各神社の各種ご祈祷は、鷲神社において正式に受けられます。
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